織田氏七代の墓(甘楽町小幡)

 織田氏七代の墓は、甘楽町福島を過ぎて小幡から秋畑に向かう途中に位置しています。

 元和元年(江戸時代)、父信雄より上野国甘楽(小幡)・多胡・碓氷三郡内の所領二万石を譲られた信良が領主となり、織田氏による小幡藩政が始まりました。

 その後、明和4年(江戸時代)の事件で、出羽高畠(山形県高畠町)に移封されるまで、八代150余年間にわたり小幡藩を統治していました。

 信良は、轟にある宝積寺を菩堤所(先祖の墓や位牌をまつる寺)と定めていましたが、四代藩主信久の時に小幡の崇福寺に移したので、小幡藩主織田氏七代の墓所があります。

 織田氏の墓石はいずれも五輪塔で、初代信雄(手前)から奥に向かい、信良・信昌・信久・信就・信右・信富と歴代順に並び、大名家の墓所らしい風格があります。
 崇福寺は2回の火災により五代以下の墓石は火炎を受け破損しています。

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織田氏七代の墓(甘楽町小幡)

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